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本公演演目決定! [やまんばおゆき]

30周年・第31回公演の演目が
『やまんば おゆき』
(作 浜野卓也 脚本 西田了 脚色 高平九)
に正式に決まりました。

演出は福山啓子(青年劇場)先生にお願いしました。

1991年、四街道市の文化振興事業によって集った市民が、西田了先生(当時『劇団あすなろ』主宰・故人)のご指導で、この『やまんば おゆき』を朗読劇として演じました。

参加者のほとんどは初舞台だったそうです。そもそも演劇とは無関係のコミュニケーションの講座だったとか。西田先生はご自分でも「僕はアジテーター(煽動者)だから」とよくおっしゃっていました。参加者を上手に煽って芝居をやる気にさせたことでしょう。先生のいたずらっ子なような笑顔が目に浮かびます。

朗読劇ですから、もちろん朗読が主で大勢の参加者が交代で朗読をし、一部をお芝居として演じるという形式だったそうです。参加者が多かったこともあり、広い文化センターが満員になったと聞いています。参加者の多くが芝居の魅力に虜となって劇団が作られたそうです。

今回は西田先生の脚本を元にお芝居の台本を作りました。演出の福山先生、演出補の船津先生のご指導もいただき、いい本に仕上がったと思います。

劇団には30年前の公演に出演者が今も3名残っています。そして、今回は元劇団員の方も3名参加してくれます。また出演者の中の4名は30年前にはまだ生まれていませんでした。座・劇列車らしく、今回も様々な世代の出演者で新たな『やまんば おゆき』を演じます。

物語について

信州の貧しい山村に生まれたおゆきは、薬売りの六の仲立ちで峠の向こうの遠州の村に嫁に行きました。夫の弥五は妻を亡くし2人の子持ちでした。おゆきは何でも「はい」と言う素直な性格からすぐに村の人気者になりました。
村の近くの「ばち山」という藪の奥には恐ろしい「やまんば」が住んでいて、その姿を見た者は食われてしまうと言い伝えられていました。
また、村には60の年を迎えた者は巡礼の旅に出なければならないという掟がありました。
ある朝、一番鶏ではなく赤ん坊の泣き声で目を覚ましたおゆきは……。

江戸時代の信州と遠州の境にある貧しい村が舞台です。村人には重い年貢が課せられ、飢饉の年には多くの者が飢え死にをする。そんな厳しい生活の中でも、善良さを失わず健気にたくましく生きるおゆき。どんな環境にも負けない人間の心の強さと美しさを信じさせてくれる物語です。


↓ 『やまんば おゆき』原作です。 箕田源二郎氏の挿絵が入った絵本です。


やまんばおゆき (フォア文庫)

やまんばおゆき (フォア文庫)

  • 出版社/メーカー: 金の星社
  • 発売日: 1986/11/01
  • メディア: 新書

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4月の稽古 [稽古予定]

祈りも空しく4月の稽古も中止になりました。

普通に生活をして普通に芝居の稽古をしていた頃が恋しいです。

「ありのすさび」

という古語があります。「ありのすさみ」ともいいます。「あり」は「有(在)り」、「すさみ(び)」は「遊み(び)」のことです。

「それがあるときにはいい加減に思っていた」という意味だそうです。

「あるときはありのすさびに語らはで恋しきものと別れてぞ知る」(古今六帖)

という和歌が辞書を引くと用例で載っています。

歌意は「あなたと一緒にいたときにはいい加減に思って親しく語り合うことも少なかったが、別れた今になってあなたを恋しいと思う」とでもしておきましょうか。

「語らふ」には男女の場合特別な意味合いもあるので、実にリアルな恋人への感情を表現した歌として解釈することもできます。作者はおそらく男性でしょうね。大人の方は察してください(笑)

そうそう。あの紫式部も好んだ言葉だそうです。

ごく普通の日常を今私たちは失いつつあります。ウィルスに感染した方、あるいは身近に感染した人がいる方には心からお見舞い申し上げます。

ですが、まだそうではない方は「ありのすさび」を感じつつも、その非日常の生活の中でこれまで出来なかったことをやってみたらどうでしょう。読書でもビデオ鑑賞でもいい。料理を作ったり小説や脚本を書いたり、手紙を書くなんてのもいいですね。絵画、音楽、筋トレ。

そうすれば失った日常とはまたひと味違う日常が、この先の未来に手に入りますよ、きっと。

ちなみに私は先日演出家から依頼された脚本の手直しを……あっいけねえ。これって劇団のブログだったぜ。

閑話休題。

次回の稽古は5月8日(金)です。
今度こそ普通に稽古が出来ることを切に祈ります。
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