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ルボン山再訪 [オカリナの少年]

久しぶりにルボン山に登ってきました。12月本公演の演目『オカリナの少年~クロスロード2』の舞台です。

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数年前までは桜の名所でしたが、今はすっかり伐られて切り株が残るだけです。

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かつてはここに野戦砲兵学校がありました。戦争末期には15歳から18歳の少年が砲兵として学び、2期生までは戦場に送られました。今回の芝居の主人公は16歳の少年砲兵です。

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野戦砲兵学校の反対側には下志津原が広がっています。ここには江戸時代には佐倉藩の火業所(砲術練習場)がありました。ルボン山は大砲の射垜(しゃだ・的山)です。佐倉藩士大筑尚志が築き、明治になってフランスから派遣された軍事顧問ルボン砲術大尉が整備したそうです。本当の名は大土手山ですが、大尉の名にちなんでルボン山と呼ばれています。

その後、四街道駅が開設されると、この山の下から佐倉方面に大砲を撃つことになりました。それに伴い野戦砲兵学校も周囲の施設もすべて駅側に移転したそうです。

ちなみに総武本線が開通したとき、当時新聞記者だった正岡子規が四街道を訪れ、

棒杭や四ツ街道の冬木立

という句を残しています。これは地名の由来とされる四街道十字路の情景を詠んだ句のようです。「棒杭」は今も石碑として残っている道標です。棒杭には街道が通じる千葉、佐倉、東金、成田の方面が記されていました。「冬木立」は榎のことだと思います。かつてこの十字路には、枝を大きく張った榎と井戸がありました。旅人は日射しを避けて木陰で休み、井戸の水で乾いたノドを潤したことでしょう。
残念ながら数年前に老木となった榎は伐採され、井戸の上には消防の施設が建てられました。木の方は若木が植えられてもうかなり大きくなりました。
『クロスロード~運命を結ぶ四ツ辻』はこの四街道十字路を舞台とした作品です。時を超えて存在する榎の精霊小野ときは今作にも登場します。

文豪森鴎外も軍医として四街道に滞在していたことがあります。小倉から東京に戻ったばかりのとき、ここで『即興詩人』(アンデルセン)の翻訳の前書きを書きました。もしかすると四街道十字路を訪れたり、ルボン山に登ったりしたかもしれません。

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